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Back to Episodes385.自分に優しくしたときこそ、行動が加速する
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頑張らなきゃ、と自分を追い込むよりも、まずは自分に優しくしてあげること。
不思議と、心が満たされると自然と動けるようになるのかも。
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:今日は、これから行動したいのになかなか踏み出せない保険っていう方が多いと思います。やりたいことあるのにとかね。そんな方にぜひ聞いていただきたいテーマの一つです。「自分に優しくしたときこそ、行動が加速する」こちらのテーマでお届けしていきたいと思います。
吉村:はい。これはあれですよね、何かチャットGPTに出してもらったテーマですけど、すごいこころメンテナンスの考え方をこのチャットGPTがよく理解しているんだなっていう、ちょっと驚かされている感じなんですけど。
三上:そうですね、ちゃんと何か私たちより優秀というか、できてるわ。
吉村:どっちのが上、下とかっていう話じゃなくて、役割分担で考えたらいいと思うんですけどね。
三上:そうですね、確かに。
吉村:でも本当何ていうのかな?自分に優しくするっていうことはどういうことかっていうと、要するに自分をジャッジしてないっていうことだと僕は思うんですね。
三上:うーん、でも何かジャッジしちゃう癖がついてる。それがブロックなんですよね、きっとね。
吉村:そうですね。結局世の中のね、例えば教育システムとか昔ながらの子育ての仕方とかにこのジャッジがすごく含まれてるわけですよ。
それは別に僕たちの親たちが悪いとかっていう話ではなくて、その人たちもなんか世の中の色んなジャッジに晒されて生きてきたから、ジャッジが当然とかジャッジすることが正しいって思ってずっと生きてきたからちょっとそれはある意味仕方ないことではあるんですけど、
三上:うん。
吉村:でも結局自分のことに対しても他者に対してもジャッジをするっていうことは、要は何かの基準で良いか悪いか判断するっていうことになるんで、その時に悪いって判断したりされたりってなるとそれは要は批判とか攻撃の対象になってしまうし、
その時に良いって判断されたとしてもそれってまた何かの拍子に悪いって判断されるリスクが常につきまとってるわけですよね。だから決して安心できる状態ではないから、ジャッジがあるっていうことがすでにすごく厳しい状態になってるわけですね。
三上:うん。
吉村:自分のことをジャッジしてしまうと、ああじゃいけない、こうじゃいけない、こうするべきだとか、自分で自分に制限とか色々と自分自身に何かやることを強要してしまったりとかっていうことになってしまうんで、やっぱりしんどい状態ですよね。自分で自分の首を絞めてるようなことになっちゃうんで。
そうすると何か行動をするためには結局自分のパフォーマンスが発揮しやすい状態である必要があるし、それに重い状態と軽い状態だったらどっちが行動しやすいかっていったら、軽い状態なわけですよね。
三上:そうですね。
吉村:でも自分をジャッジするっていうことは、ああではいけない、こうではいけないとか、今の自分に対しても自分のこういうとこが良くない、こういうとこがダメだとかって言ってるってことは氣が重くなっていっちゃうわけですよ。氣が重くなったら行動のパフォーマンスが下がるわけですよね。
三上:そうですね。
吉村:このパフォーマンスが下がったら、また余計にジャッジする羽目になってしまうわけですよ。
三上:うーん、本当だ。
吉村:だからそういう悪循環にはまってしまうんですね。行動を加速させたいって思うんだったら、まず本当にその辺のジャッジをやめるってことが本当に大事なんですよね。
三上:ジャッジをやめる。受け入れる。
吉村:そうですね。それは別に受け入れるっていうことが、うまくいってないことをそのまま放置することっていう意味ではないんですよ。
ありのままの自分を受け入れた方がいいですよって話をすると、結構多くの人が「じゃあダメな自分をそのままにするってことなんですか。」みたいなことを言ってくる人っていうのも結構いるんですけど、それとは違うんですよね。ダメな自分っていうふうに言っちゃうから、ダメであることが固定化されちゃうんですよ。
三上:そこでもジャッジだ。
吉村:そうそう。だから何かうまくいってないことがあったとしたら、そこって改善できるポイントがあるっていうこと。だから言ってみたら伸びしろがあるっていうことじゃないですか。
三上:そうですね。
吉村:だから別にその人がダメかどうかっていう話じゃなくて、その人にまだ改善の余地があるか伸びしろがあるかどうかみたいな話に過ぎないんですよ。
っていうところで言うと別にどのレベルになってもまだ伸びしろってあると思うんで、伸びしろがなくなるってことのほうがまずちょっと考えにくいですよね。それはたぶんその人が死ぬときですよ。
三上:うん。
吉村:だからそれまでは別にまだ改善できるところはあるし、今のレベルで尺度を持って測るとするじゃないですか。
三上:はい。
吉村:そうすると熟練度みたいなものとかで、今の段階でどっちのほうが上とかっていうことを評価することはできるんですけど、
例えばね、僕と誰かとは何かで競争をしたとして、それで僕がそのときに負けたとしても別にそれは僕は劣ってるとか人間として価値が低いとかってことじゃなくて、この競争では今回は僕のほうが負けましたっていう話に過ぎないんですよね。
それはもしかしたら自分を伸ばしていくことでその競争で勝てるようになるかもしれないし、あるいは僕はこれは向いてないかもしれないから何か違うことでもっと力を発揮できるかもしれないなってそっちで力を発揮できたら別にそれでいいわけですよね。
三上:うん。
吉村:だから、人を結構ジャッジするとか評価をすることで格付けみたいなことっていうのは世の中でよくされてるんですけど。
三上:マウントとかね。
吉村:格付けみたいなこともすごい雑な感じがするんですよ。じゃあテニスが上手い人と将棋が強い人とどっちのほうが上なのかって分かんないじゃないですか。じゃあテニス上手いやつと将棋が上手いやつ戦わせてどっちが勝つか見てみるって、何で戦うのみたいな話じゃないですか。
三上:確かに、戦えないよね。
吉村:だから人を評価したりとか人の特技であったり技術であったりとかを測る尺度っていうのも千差万別なわけですよね。
例えばスケートが上手い人って言ってもフィギュアスケートが上手い人とスピードスケートで速い人と、それからアイスホッケーで上手いプレイヤーとって同じスケートだけど全然違うじゃないですか。
三上:違いますね。
吉村:別にフィギュアスケートが上手い人が、アイスホッケーでバンバンゴール決められる人になるかっていったら分かんないし、大体アイスホッケーみたいな競技だったらゴール決められる人と相手のシュートをすごい防御するキーパーとどっちのほうが偉いのかって、いや別にどっちも必要だよねみたいな話ですよね。
三上:そうですね。
吉村:だから結構ジャッジするっていうのが、まずジャッジしてるって時点でかなり雑な評価をしてることが多いんですよ。
三上:うんうん。
吉村:細かく評価するってなった場合には、どちらかというと良い悪いっていうより現状こうだよねっていう見方をしたほうがそこの伸びしろの部分をどう成長させられるかっていうところに行きやすいし、
それにそもそも向いてるか向いてないかっていうこともあるから。
僕は別にスポーツ選手になろうっていう氣が全くないんですよ。多分僕は向いてないって分かってるからそこで勝負すること自体がバカバカしいっていうか。
でもスポーツやって