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Back to Episodes199.産んでくれありがとうと思う気持ち
Description
ハンドルネーム、らぃらさんから頂いたメッセージを取り上げて吉村さんに伺いました。
感想、ご質問はこちらにお願いします!
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Web:
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◆文字起こしはこちら↓
三上: はい、皆さんこんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの
吉村: 吉村竜児です。
三上: はい、吉村さん本日もよろしくお願いします。
吉村: よろしくお願いします。
三上: はい。本日はサロン向けの方にお便り頂きました、ハンドルネームらぃらさんからのメッセージ、これね一般向けの皆さんにも良い話題だなと思ってちょっと読み上げたいと思います。
吉村: はい。
三上: はい。吉村先生、過去の動画【サムライ講演会のスピーチ】の中で最後の方に「両親が健在なら、産んでくれてありがとうって伝える勇気を持ってく下さい。今すぐに行動に移せなくても大丈夫。それを伝えられる可能性が有る事を受け入れて下さい」と言うような事を仰っていたと思うのですが、今もそう思われますか?
私は過去15年位の間にヨガや瞑想、ここ数年はACTにも出会って、以前よりは自己セイテイカン※が上がってきていると思うのですが、「両親に産んでくれてありがとう」って伝える事についてはかなり抵抗を感じ、可能性を受け入れるという事さえ抵抗を感じます。「人はそもそも愛だけの存在」と言う観点からすると「産んでくれてありがとう」って言うのは当然な感覚かも知れませんが、そう思えないって事は、心に大きなブロックが有るのでしょうか?と、来ております。
吉村: なるほどですね。あれですね※自己肯定感ですね。
三上: 失礼しました、自己肯定感。
吉村: 自己肯定感が上がってきてるけど、ちょっと何かまだそれは抵抗あるなっていう事ですよね。はいはい。良いご質問だと思います。ありがとうございます。
三上: ありがとうございます。
吉村: 先ずですね、【サムライ講演会のスピーチ】に関しては、あの講演会でやるスピーチの為のちょっとフォーマットみたいな物というか、ちょっとある程度縛りがあって、本当に言いたかった事が全部言えてないっていうのは一つあるんですよね。
それは何かって言うと「結局クリアリングっていうその手法っていう、今迄にない全く新しい物を僕は開発して、それを使って心の問題で苦しんでる人達の力になる」っていう事をやって来てるんですけど、あのスピーチを作るにあたって、言ってみたら「小学生が聞いてもある程度分かる内容にする必要が有る」みたいなところがまずあったわけですよ。
なので、限られた時間の中で全く新しいその概念とか手法とかって入れた時に、それを説明する事が出来ないんですよね、短時間の間で。なので、そのクリアリングっていうものを全然説明もしないし、何かそういう概念を出す事さえなく伝えなければいけないっていう中では、ああいう表現になってしまったっていうところは、ちょっと否めないかなっていうとこがあるんですよね。
だから、ちょっと僕の中では若干消化不良なところがあって、やっぱり短い時間で聴いて下さる方達の心に何か変化を起こすであったりとか、何かもらって帰ってもらえるようなものをお伝えするみたいな考えの元、講演会とかはデザインされているものであるんで、それはそれで素晴らしい事なんですけど、僕の中では本当に言いたかった事は、ちょっと完全な形ではお伝え出来なかったなっていうのはあるんですよ。
三上: うーん。
吉村: なので、両親に「産んでくれてありがとう」っていうふうに僕が思えるようになったっていうのは、事実としてはあるんですよね。以前は両親に対して色々な恨み辛みが有ったりとか、複雑な思いを抱えてたんですけど、それをクリアリングしていった結果、当時の両親も色々と問題を抱えていた未熟な人達だったんだな、みたいな事が分かって来て、それで何か僕の中で両親の事を許す事が出来たわけですよ。
それはもう結構ね時間をかけてじっくり自分自身をクリアリングで癒していくっていう事をした結果としてそうなったんですけどね。
三上: ふううん。
吉村:そこまでいったら、それこそ今目の前に両親がいたら「産んでくれてありがとう」って言える状態にもなったっていうところなんですよね。父親に関しては僕は本当に若い頃、20歳の誕生日の前の晩に亡くなってしまったんで、「産んでくれてありがとう」とかって僕の中でそういう考えが浮かぶよりももっと前に亡くなってしまってるんで、そこで何かそういう感謝のコミュニケーションみたいなのは特になかったんですよ。
で、母に関しては、晩年に最期癌でもう助からないみたいな状態になってからも、色々僕の方で、例えば入る病院を探さなきゃいけないとか、色々と世話をしなきゃいけないところがあって、母と結構濃密な時間を過ごす事になったわけですよね。
三上: ふううん。
吉村: 亡くなる前の数ヶ月間とかっていうのは。その中で母が本当に亡くなったその日ですよね。僕としては(今これ言っとかないと、本当にこの後チャンスなくなるんだな)っていうのが自分で分かってたんで、僕の中ではまだ色々と蟠(わだかま)りは残ってはいるけど、一応表面的にっていうのか、先ず行動として「ありがとう」って言っとこうっていう氣持ちで言ったっていうのはあったんですよね。
でもそれって自分の中で本当に本心から両親の事が許せてて「本当にありがとう」みたいな感じで言ってたんじゃなくて、取り敢えず今言っとかないと何か後で自分の負い目になっちゃうかも知れいみたいなね、そういうのもあって言ったわけですよ。
だから、そういうのも全然僕としてはありだとは思うんですけど、実際母が亡くなった後、その頃って僕まだクリアリングって手法を開発するもっと前で、心理学の勉強し始めたばっかりみたいな状態だったんで、そっから母に関する蟠りを本当に手放す事が出来るようになったっのっていうのは、またそっから暫く後の話になって来るわけですよ。
三上: うーん。
吉村: クリアリングをしてく中で、両親の事だんだん許せるようになってきたってプロセスも、ちょっと少し記憶が朧(おぼろ)げにはなってるんですけど僕の記憶だと、先に父の方を許せたタイミングの方が母を許せたタイミングよりも早かったなと思ってるんですね。
三上: ふううん。それは、何故ですか?
吉村: 多分一緒にいた期間が父の方が短いんですよね。
三上: ああ、なるほど。
吉村: しかもだいぶ早い段階で父亡くなってたんで、そこで父との思い出は終わっちゃってるんで、そこから更新されてないんですよ。でも母とは本当にその亡くなる直前までね「こんな所でまだ我儘言うのかよ」とか「こんな時期になって、まだ自分の母親の悪口言ってんのか」とかっていうのを僕は見てるんで、
結構その度に(あぁあ)って思いながら、それでも唯一残ってる肉親みたいな感じだから、僕が世話するしかないよねみたいな感じで、病院探して転院の手続き取ってとか色々やって、亡くなった後には、銀行の口座の名義を変えたりとかっていうような事とか、もう結構大変な手続きを僕は一人でやることになったわけですよね。
だから、それやるのは当然の事なんですけど、ただその当時としてはもう本当そういう何の知識も何もないところで何かやんなきゃいけないみたいなところでアワアワしちゃって、そうするとその中で(こんな面倒くさい事を押し付けやがって)みたいな氣持ちも出て来ちゃったり。
三上:そうですよね。
吉村: そういうのもあったんで、母に対する蟠りを手放すのには、やっぱり父に対するそういう氣持ちをクリアリングするよりもちょっと時間がかかったんで、タイミングとして後になってるんですよ。
なので、父親の事は亡くなって久しい人ではあるんだけど、先に許す事は出来たから「産んでくれてありがとう」みたいな事を父親に言えた事はないんですけど、現実の現世では。ただ別にクリアリングして父に対する蟠りがなくなったら、そういう意味では許す事自体は凄い簡単だったんですよね。
なので、実際に面と向かって「ありがとう」って言わなきゃいけないわけでもないし、それを言ったからどうこうっていう話じゃなくて、(要は自分の中に有るそういう蟠りみたいな物とか、